2011年 3月

無題

2011.03.24.木曜日 1:00

今日、漠然と思ったこと。
物事、何でも、20年30年かかって、本当の価値や善し悪しが分かる気がする。
そのくらいの時間が経つと、出た当初は持ち上げられていたものでも、
結局は元のさやに収まるものが多々あると思う。
(とは言っても、昨今は物事のスパンがあまりにも短いので、見直す前に自然消滅していたり…)
私が子供の頃は、スーパーの袋は厚い紙袋だった。
手提げではないので、袋の口元を折り畳んで持つか、胸に抱えて持っていた(母が)。
袋もわりかし丈夫だったので、畳んでとっておいて、何度も使っていたと思う。
その後、紙袋からビニールの手提げ袋になり、すごい!と思った。
また同じ頃、ジュースがガラス瓶からペットボトルに変わり、
岩だらけの沢に流れるマウンテンデューのテレビCMを、羨望のまなざしで見ていた。
今ではビニール袋やペットボトルはありふれた当たり前のもので、
なおかつ、再利用や使用を控えるように見直されている。
携帯電話が発売されてから、20年30年経つのかな?
一人一台が当たり前の今。
「必要ない」と思っていた私でも、携帯電話を所有して10年以上になる。
今回の災害で、携帯が通じなくても固定電話は通じることがあった。
固定電話を持ってる友達と話ができて、とても助かった経験がある。
さて携帯電話。今後も更なるバージョンで突き進むのか、
はたまた新たな問題や危険で衰退するのか…?
原発は…?
毎日、一向に良くならない不安な状態で、眉間の皺がとれなくなった。
ご飯を作る気力が出なくて「ご飯作りたくない」とボヤいてみた。
でも外食したい訳ではないので、ギリギリまで粘り重い腰をあげてご飯を作った。
代わりに(?)夕食後の皿洗いをボイコットした。
(海はどうなる!)
(山はどうなる!)
(川はどうなる!)
(水はどうなる!)
(土はどうなる!)
(魚はどうなる!)
(野菜はどうなる!)
(果物はどうなる!)
(家畜はどうなる!)
(空気はどうなる!)
(人はどうなる!!)
テレビでインタビューされていた、避難所の98歳のおじいちゃんの言葉。
「いのちあるから、これからまだまだいいことある」
被災者のおじいちゃんに励まされた。
とりあえず私は、腕立てと腹筋をする!
小さい2人の子供を、火事場のクソ力で守った妹を見習い、
私もいざという時の為に…!

醒めない

2011.03.15.火曜日 15:31

11315


夢だったら どんなによかったか
数日前は平和だった
篤姫の再放送の最終回を ダンナ様に文句を言われながらも無視して見てた
その時に 一変してしまった
みんなを 心配で心配で心配で心配で 生きた心地はしなかった
今も 心配でしょうがない
でも 自分は 元気でいなければならない

絵は先月見た夢
あまりにも美しく印象的だったので 忘れないうちに描いていたもの
真っ暗な夜
バスに乗ってた私は 最寄りのバス停で降車した
そして走り出したバスは バスではなく電車になっていた
電車は浮いて 空にむかって走っていく
空の上には 光輝く線路が見える
私は この世のものとは思えない と
その美しさに感動した
その線路の先には 向こうの世界があるらしい
その絵を 携帯の待ち受け画面にしていた
いろんな思いがめぐり 夢の話を書きました

タララッタッタッ♪♪

2011.03.02.水曜日 17:50

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昨日の午前中、献血しに行ってきました。
献血の最中に、個々に設置されてるモニターでテレビが見れるのですが、
11時半ばに普段テレビは見ることないし、見る番組もないな〜と思っていたところ、
キューピー3分クッキングが始まりました。
オープニングのテーマ曲に合わせて、
キューピーが、なんとロボットダンスを踊るではありませんか!!
それを見た瞬間、腕に力が入り、笑いが吹き出すのをこらえました。
鶏のササミとオレンジのサラダを先生はちゃちゃっと作り、さて明日の献立の紹介。
「明日は葱油餅(ツォンユーピン)です」

(ああ!葱油餅だ!!)

私が子供のころ、祖母が作ってくれたことがありました。
祖母は、日本が中国を占領地化していた時代に、祖父と共に中国で生活していました。
その時に、現地の人に作り方を教わったそうです。

味は、さほど美味しかった記憶はありませんが(^^;)、
市松模様の台所の床、
薪風呂の焚き付け炉、
ガス台に向かう祖母の後ろ姿、
なつかしい情景が浮かび上がりました。

キューピーと祖母をなんとか関連づけてシメようと考えたところ…
あ、似てました。
頭も体系も(>▽<) 葱油餅、作ってみようと思います。

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