2011年 10月

それで(も)いいのだ

2011.10.26.水曜日 16:56

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毎年、自宅の玄関先に植える朝顔。
その朝顔を片付ける時に、
もったいないからツルを取っておいて、なにかを作ります。
去年は10cmぐらいのコースターのようなものを編みました。
お茶をいれる時に、汗をかく急須を置くのに(偶然)ピッタリのサイズです。

今年は大きな籠を編みました。
全くもって朝顔のツルだけでは足りなくて、8割方紙ひもで編んでいます(汗)

円柱形の籠にするイメージで編んでいたのですが、
編みこんでいくうちに、あっちに曲がりこっちに曲がり…
最初は真っ直ぐに戻すために、ぎゅっぎゅっと力づくで頑張っていたのですが、無理!
曲がるなら、いっそあるがまま曲がれ〜〜〜、と開き直って仕上げました。
見事な歪みぶり!シャクレぶり!
あっぱれ!

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来年もよろしくデス(^3^)

一!念!発!起!

2011.10.25.火曜日 22:16

読まなくなった雑誌を整理しようと思い、
体をかがめて本棚の奥〜へ。

出てきたのは、
2004年「広告 08月号 ラブ名古屋」

まだ私が愛知へ引っ越して来る前、
下見(?)で名古屋へ行った時に、名古屋を知るために買ったものでした。

処分するまえに中身をペラペラペラ…

すると忌野清志郎さんのエッセイがありました。

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忌野清志郎さんが自転車を乗り始めたきっかけのお話でした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ある時にね、80いくつの爺さんが雪崩に埋まっちゃった息子を助けるために
10kmの雪道をスコップ1個持って助けに行ったってニュースを聞いて、
すごい感動したんですよ。
オレらの世代とか若者より爺さんのほうが全然すごいじゃんと。
自分にはとてもできない。
それで「人間本来の力を取り戻すのだ」と思って自転車を始めたんです。

〜略〜

地方にツーリングに行くと日本は美しいなと思うよ。
海近くなってくると潮の匂いとか自転車だとすぐわかるし、
県境ってたいがい峠で山道なんだけど、
観光地でもなんでもないところで「ドドー」って地響きがして、
いきなりすごい滝とかあって驚く驚く(笑)。

〜略〜

いまなら80のジジイになっても子供を助けに行けると思う。
10kmの距離を体力をどう配分して行けばいいのかを計算できるからね。

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これほど将来に前向きに楽しんで生きていた方が、
数年後には病に侵されこの世を去ってしまっている…

ほんとに子供を助けに行ってほしかったと、悲しくなりました。
でも、
清志郎さんは、ジジイになっても子供を助けれる体力をつけ、
自信に満ちあふれ、その時は幸せな満足感いっぱいだったと思います。
自転車を乗らなかったら、得られなかった気持ち…

亡くなってしまった人に言うのは失礼だけど、
そんな経験ができて羨ましく思いました。

私は贅肉ばかりで体力がなく、
ダンナさまに小言を言われても右耳から左耳へスルー…
くぅぅ、このままで本当にいいのかっっ!!

人生、いつどうなるかわかりません。
いつまで生きていれるのか、わかりません。

その時までに、「人間本来の力を取り戻す」を目標に、
体力的に明るい将来をイメージできるようになりたいと思いました。

2011 里帰り旅行日記

2011.10.04.火曜日 21:36

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photo:EPSON R-D1 撮影:ダンナさま

山形では家族や友人と再会をしました。

父は、孫達に自分の好きな音楽やワインの世界を侵されながらも、
孫達を時折威嚇しながら楽しんでいました。

母は、家事に仕事、孫の面倒、父とのバトルを、
さらさらとこなしたり、ネチネチになったり、天然であるがまま頑張っていました。

弟は激ヤセしていました(^^;)。
痩せた理由を尋ねると、
「幸せでないがらだべ〜」
と言っていました。
人生、そういう時期だってあります。

弟の息子は小学校の1年生になりました。
彼が生まれて一年後くらいに、私は結婚して山形を離れたので、
これまでそんなに関わりあったことはありませんでした。
今回は初めて一緒に過ごす機会があって、心の距離が近くなった気がします。
彼の通う小学校(私の母校)の校歌を一緒に歌いました。

妹が子供2人連れて、ちょうど同じ時期に帰ってきていました。
わんぱく盛りの甥っ子達。
私は慣れないおんぶに抱っこで、筋肉痛に苦しみました。
最初は遠慮がちに接していましたが、数日後には私もダンナさまもきちんと怒れるようになりました。

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photo:EPSON R-D1 撮影:ダンナさま

友達夫妻とロープウェイ2本乗り継ぎ、蔵王の山頂まで登りました。
あいにくの霧雨でしたが、自然のミストシャワーが本当に気持ちよかったです。
空気を胸いっぱい吸い込み、頬っぺた震わせ吐く。
山の頂上に佇み、みるみる変わっていく空や目の前の雲の姿に感動しました。

妹と子供達と母と私で、夏の間釣り堀やBBQ営業をしている猿倉スキー場へ行きました。
4歳の甥が釣りをするために行ったのですが、
釣り上がったニジマスの跳ね具合にビビり、結局妹と私で釣りました。
4匹釣って、腹処理+塩漬けで持ち帰り1.000円(竿レンタル、餌代金込み)ぐらい。
良心的!!
家に帰り、真水に何回も浸して洗い、夜は塩焼きにして食べました。
スダチ、玉ねぎのみじん切り、塩、オリーブオイルのソースを作り、
ニジマスの塩焼きにかけて食べると、酸味サッパリで美味しかったです(^-^)

友達と会えるだけ会いました。
まるで売れっ子タレントのように「何時から何時まで空いてる」なんて言いながら、
はしご(?)して会いました。
でも全然時間が足りない!一人につき一日は欲しいところです。
みんなすっかり大人で母で、それでいて昔と変わらず…(^-^)
残念ながら会えなかった友達も。来年はもっと用意周到で攻めたいと思います(←?)。

ダンナさま行きつけの喫茶店で、夕方二人でコーヒーを飲んでいると、母から電話が。
「夜、ちらし寿司だから、帰てきて家で食たらいいべ?」
夕食はダンナさまとどこかで外食と思っていたのですが、
せっかくの電話なので家に帰ることにしました。
さぁ、米8合分のちらし寿司!
具は、椎茸、人参、筍、錦糸卵。(That’s all!)
刺身は無し!あとはお茶!
みんなでバグバグバグバグ〜。
弟が、
「うちでちらし寿司っていうと昔からこれだがら、
外で「ちらし寿司」見でたまげだっけ〜」
と言いました。
甥っ子達の見事な食べっぷりを母が褒めると、
「他に食うもの無いがらだべ〜」
と父が言いました。
野菜のちらし寿司ももちろん美味しいけど、
それだけ食べ続けるのは飽きてしまうので、
ワサビをつけて食べました。
ミラクル!
まるで魚のちらし寿司を食べているよう…!
ダンナさまと弟と私は、ワサビを手放せなくなりました(^^;)
母は仕事終わってから下ごしらえをし、みんなのため頑張って作ってくれました。
8合のちらし寿司は完食されました。
でも、来年は私が魚買って帰るからね。

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photo:EPSON R-D1 撮影:ダンナさま

一年ぶりの山形。
そして、震災後初の東北行きでした。

天変地異の脅威をLIVE映像で見て、それが嘘であってほしいと強く思っていました。
そう願いながらも、現実と知っていて、映像から目が離せませんでした。
遠く離れている家族、妹一家、大切な友人達…
みんなの無事を、心が張り裂けるほど願いました。

天災にとって人間の抵抗などは本当に微力…
だから、
せめて、
そうなった時に、自分にできる最善を考え、行動できる力を持って。

私の故郷の隣県、福島での原発事故は、怒りに震える本当に悲しすぎる事故です。
でも、福島には被害者だけでなく、加害者がたくさんいます。
加害者の力が勝っていたから、このようなことが起きたのだと思います。
大きな力を持つ加害者を選挙で生み出していたのは…。

私も、
みんな一人一人も、
もう他人事ではありません。

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